お手伝いさん募集

私の爺さんは94まで健康に生きて風呂に入っている時に心臓マヒで死にました。
臨終と同時に湯かんまで済ませてしまったという理想の死に方です。
私も爺さんと同じく痩せ形の割に無病息災タイプなので、恐らく嫌われながらも90歳以上は生き延びるものと思います。
しかしそのように仮定したとしても、もう人生の折り返し地点は軽く通り過ぎてしまいました。
この先はそんなにのんびりとはしていられません。
もっと好きなギターを作りたい。
しかし修理の仕事に追われている毎日です。
そこで「お手伝いさん」を募集いたします。
はっきり言いますがお給料は出せません。
雑用もお願いします。
その代わり技術は段階に応じてちゃんと教えます。
年齢性別は問いませんが、手先が器用な人であることは必須条件です。
どんなに熱心で真面目でも不器用な人やデリカシーがない人には不向きな仕事です。
興味の有る方は店までお電話ください。047-436-4744
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わーい! 2


某氏からいただいたP.Uの箱、ひっくり返して全部出してみたら、すごいのが入ってました。
右上のはライ・クーダーでもお馴染みのGUYATONEの名器LG-200Tの奴じゃないですか!
つか、今回全部グヤのなんですけどね。
他のもカッコイイっすね!
左下のはポールピースが9本もあるから恐らくラップスティール用なんだろうけどギターに付けたって構わないでしょう。
ストラトのリアに付けてスライドに使ったらどうかな。
他にも段ボールにはマロリーの試作品とかシャープ5やテルスターのP.Uがザクザクです。うひょひょ。

わーい!

某メーカーの技術者だった某氏よりレアなP.Uやパーツ類を小さめのボール箱一杯いただきました。
ありがとうございます!
これでなにかレトロ可愛いギター作ろう。
P1050150.jpg

私はいかにしてギター修理屋の親爺になったか その5

その4まで終わったのになかなかギターと出会わないですね。
ギターと出会う前に当然「音楽」との出会いがある訳でしてその辺を少し。

最初に住んだ家は花輪という船橋では割合上品な住宅街にありまして、閑静というか、まあのどかな所でした。
そこでは幼稚園に上がる前くらいまで住んでいたのかな。
ここでの「音」に関する記憶はほとんどないです。
次いで同じ船橋市内の大神宮下の祖父の家に引っ越した。
引っ越しの時にトラックの荷台に荷物と一緒に乗せてもらってどきどきしたのを憶えてます。
この家は当時の船橋で繁華だったエリアに割合近くて飲食店や映画館なんかも近くにありまして、自分が成長したというのもありますがここで初めて自分史の中で音の記憶のある時代に突入するわけです。
今は駅を中心にデパート/スーパーが沢山建って買い物客を引きつけているのでその辺が商業の中心部と言えますが、昭和30年代当時は今とは大分様子が違ってました。
船橋大神宮の交差点から西へ伸びる「本町通り」というのがあって、そこが昔の船橋のメインストリート、大きなお店が軒を連ねていますがその裏に平行して通る商店街、特に「いなばや」さんという総菜屋さん(昔風に言うと煮豆屋)がある辺りが庶民生活の中心地でして、いつも夕方になると買い物客でごった返していました。
「いなばや」の並びには八百屋/魚屋/肉屋/天ぷら屋/豆や卵を売る店/写真屋/うどん玉屋/豆腐屋/寿司屋/瀬戸物屋/模型屋/駄菓子屋があって、近くには蕎麦屋/パン屋/和菓子屋/花屋/床屋/文房具屋/目医者に風呂屋に刃物の研ぎ屋に燃料店、うーん、こう羅列すると色んな店があってすごいですね。
現代みたいにデパート/スーパー/ショッピングモールで用が足りてしまうというのは便利だけど何か寂しい事のような気がします。
街の活気は確実になくなってる訳でして、どっちがいいんでしょうね…
で、「いなばや」通りの東の入り口には映画館があって、そこで「ゴジラ」か「モスラ」を観ました(どちらだったかもう憶えてない…)
自分的には何か陰惨な感じのする怪獣映画より「わんわん忠臣蔵」とか「白蛇伝」みたいなアニメの方が好きだったな。(今調べたら「白蛇伝」は1958年の作品なので再放映を観たんでしょうね)
(途切れながらだらだらとつづく のでしょう)
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