「私はいかにしてギター修理屋の親爺になったか」その2

記憶の中で最初に住んだ家は船橋市の花輪にある一戸建ての家でした。
自分の人生の中の一番古い記憶は恐らく3歳ころ、その家から兄に連れられて近くの谷にススキを採りに行ったことですね。
この「谷」というのが妙だと思うでしょうが、本当に深いV字の谷があったんです。
現在の船取線、花輪インターから北上して京成線を越えてから中野木交差点までの間の左手に道路より少し低い住宅地がありますよね?
そこが昔は深い谷間で何にもなくて一面のススキの野原だったんです。
船橋みたいな平地になんで深い谷があったかというと、これは後から知ったことなんですが戦前に「利根川放水路計画」というのがあって、巨大な運河を掘って東京湾まで通そうとしたんですね。
今低い住宅地になっている部分と県立船橋高校の野球グラウンドになっている所が、一部着工されたその名残というわけです。(県船グラウンドは当時の深さを残してます)
この計画は戦争が激しくなったため結局は中止になるんですな。
ススキ野原だった所はやがて畑になり、その後はかなり埋め戻されて住宅地になりました。

あ、また激しく脱線してしまいました!
こんな調子ではちっとも進みませんですね。
我ながら先が思いやられますが(続く)
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